洗脳やマインドコントロールの事例、そしてこれらを解くことがいかに困難か示したドラマの紹介はいかがでしたか?
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では今日から、これまでも何度か例として出てきているヒトラー。彼の属したナチス・ドイツにおいて重役を担ったアドルフ・アイヒマンという人物に焦点を当て、いくつかお話をしましょう
アドルフ・アイヒマン
彼はナチス・ドイツ期のプロイセン自由州警察ゲハイメ・シュターツポリツァイ、通称ゲシュタポにおけるユダヤ人局局長にまで上り詰めた人物であり、ユダヤ人大量虐殺のGOサインを出した張本人とされています
【画像:映画「スペシャリスト 〜自覚なき殺戮者〜」公式サイト】
しかし彼はナチスに入党するまで、まともな学歴や職歴がなかったのです
アドルフ・アイヒマン
1906年に生まれた彼でしたが、10歳のころ、優しかった母親を亡くします
2年後父は再婚を果たしますが、両親はアイヒマンに服従を強いるような教育を施しました
結果引っ込み思案になったアイヒマンは、退学を繰り返し、大人になっても仕事は続かず、散々な人生をおくっていました
アドルフ・アイヒマン
実の母が亡くなってからというもの、散々な人生を送ってきた彼でしたが、1932年転機が訪れます
【画像:Eichmann(ヒトラーの審判 アイヒマン、最期の告白)」10枚+1枚 | 時は止まる君は美しい】
それがナチスへの入党です
きっかけは昔の友人にたまたま会い、彼に誘われたというだけでしたが、アイヒマンはやっと見つけた自分の居場所を守るため、ナチスの活動に打ち込みました
アドルフ・アイヒマン
ナチスという自分の居場所を見つけた彼は、入党の翌年親衛隊に入隊
この時彼は「あのころが一番幸せ。上官が責任ある任務を与えてくれたのでなおさらです。」と語っていたのですが、その上官の上官のそのまた上官たるヒトラーの著書『我が闘争』は読んだことがなかったそうです
アドルフ・アイヒマン
ナチスの党員として国家保安本部に移動していた彼は、1935年結婚を果たします
【画像:166点のアドルフ アイヒマンのストックフォト – Getty Images】
しかし当時のアイヒマンについて、少佐ヘットルは「コンプレックスの塊」と評しました
コンプレックスを埋めるべくナチスに執心するという彼の意志は、結婚などでは変わらない習性となっていたのです
アドルフ・アイヒマン
1939年9月1日、第二次世界大戦が勃発しました
【画像:映画「オペレーション・フィナーレ」 オスカー・アイザック&ベン・キングスレー】
当時ユダヤ人に関する事案を担当していたアイヒマンは、彼らの移住計画を進めていたのです
しかしソ連との交戦が始まった際、上官からユダヤ人の抹殺を命令されたアイヒマン
処刑の様子を実際に見た彼はその場から逃げ出したそうです
アドルフ・アイヒマン
ユダヤ人の抹殺を始めたナチスにおいて、彼は「執務室の虐殺者」となりました
ユダヤ人は出世の道具であり、上からの命令なので殺す人数を決めて書類を作り、判子を押すだけ。これが当時のアイヒマンの感情でしょう
彼は決められた仕事を完璧にこなす事しか興味がなかったのです
アドルフ・アイヒマン
「執務室の虐殺者」と化した彼は、やがて上官ですら制止できないほどに暴走を始めます
1944年、ヒトラーが和平工作を行った際、ユダヤ人虐殺を一時停止するよう命ぜられたアイヒマン
【画像:アウシュヴィッツ解放から75年、祖父の痕跡を探して – BBC NEWS】
しかし彼はこれを無視して、飲まず食わずのユダヤ人を永遠と歩かせる「死の行進」を決行します
アドルフ・アイヒマン
彼の暴走は先日紹介した「サードウェイブ実験」における生徒の暴徒化に似ていますね
そう彼も権威という見えざるものに、いつの間にか服従していたのです
のちにドイツは敗れ、アイヒマンは国外逃亡を図りましたが、1962年、イスラエル警察によって捕らえられ絞首刑となりました
アイヒマンが潜伏をしたアルゼンチン
当時の大統領ペロンですが、彼の妻エビータことエバ・ペロンが有名人なのです
【画像:エビータ(サントラ) – マドンナ, マドンナ&アントニオ】
【画像:☆映画「エビータ」から「アルゼンチンよ泣かないで」(Don’t cry for me Argentina)。】
彼女の人生は『エビータ』というブロードウェイミュージカルにもなったほど
なおこの作品は、マドンナが歌った主題歌『アルゼンチンよ泣かないで』とともに、世界で高く評価されました
エビータの生きたアルゼンチン
映画『エビータ』はブロードウェイミュージカルで放映されるほどの人気作品でした
【画像:【VHSです】エバ・ペロン~エビータの真実~ [字幕]|中古ビデオの通販】
【画像:美しき女たち男たち フェイ・ダナウェイ 様 Faye Dunaway】
しかしエビータという人物について、これしっかり描いた作品という意味でいうなら、映画『エバ・ペロン〜エビータの真実』(1996年)やTVドラマ『エビータ』(1981年)の方がおすすめです
アイヒマンの逃亡劇
ナチスに対して寛容なアルゼンチンで潜伏をしたアイヒマンでしたが、1952年、妻子をアルゼンチンに呼び寄せた際、ナチスの残党狩りの操作網に引っかかってしまいます
【画像:ハンナ・アーレントってどんな人?| 代表的著書『エルサレムのアイヒマン』の要約を通じてその主張をわかりやすく解説】
のちにブエノスアイレスで誘拐されたアイヒマンは、イスラエルの秘密警察に捕らえられ、1962年、死刑となりました
アドルフ・アイヒマン
彼が絞首刑の前の最後の尋問で遺した言葉は
「私は盲目に慣れすぎた。親衛隊時代もそうだった。しかし、もし盲目的服従がなかったなら私はどうなっていただろう。」
【画像:アイヒマン調書――ホロコーストを可能にした男 (岩波現代文庫)】
【画像:ハンナ・アーレントってどんな人?| 代表的著書『エルサレムのアイヒマン』の要約を通じてその主張をわかりやすく解説】
というものでした
当時彼を尋問した検察官は
「二人のアイヒマン(威厳ある彼と臆病な彼)がいた」
と語りました